しそれ以来、ときどき文通はしていたのだが、一向物を書いているらしい様子もなかった。ああは云っても、家に落ち着いて暮らしに不自由のない若旦那《わかだんな》になってしまえば、自然野心も衰《おとろ》えるものだから、津村もいつとなく境遇《きょうぐう》に馴《な》れ、平穏《へいおん》な町人生活に甘んずるようになったのであろう。私はそれから二年ほど立って、ある日彼からの手紙の端に祖母が亡くなったと云う知らせを読んだ時、いずれ近いうちに、あの「御料人様《ごりょうにんさん》」と云う言葉にふさわしい上方風《かみがたふう》な嫁《よめ》でも迎《むか》えて、彼もいよいよ島の内の旦那衆《だんなしゅう》になり切ることだろうと、想像していた次第であった。 そんな事情で、その後津村は二三度上京したけれども、学校を出てからゆっくり話し合う機会を得たのは、今度が始めてなのである。そして私は、この久振《ひさしぶり》で遇《あ》う友の様子が、大体想像の通りであったのを感じた。男も女も学生生活を卒《お》えて家庭の人になると、にわかに栄養が良くなったように色が白く、肉づきが豊かになり、体質に変化が起るものだが、津村の人柄にもどこか大阪のぼんち[#「ぼんち」に傍点]らしいおっとりした円みが出来、まだ抜け切れない書生言葉のうちにも上方訛《かみがたなま》りのアクセントが、―――前から多少そうであったが、前よりは一層|顕著《けんちょ》に―――交るのである。と、こう書いたらおおよそ読者も津村と云う人間の外貌《がいぼう》を会得されるであろう。 さてその岩の上で、津村が突然語り出した初音の鼓と彼自身に纏《まつ》わる因縁《いんねん》、―――それからまた、彼が今度の旅行を思い立つに至った動機、彼の胸に秘めていた目的、―――そのいきさつ[#「いきさつ」に傍点]は相当長いものになるが、以下なるべくは簡略に、彼の言葉の意味を伝えることにしよう。――― 自分のこの心持は大阪人でないと、また自分のように早く父母を失って、親の顔を知らない人間でないと、(―――と、津村が云うのである。)到底《とうてい》理解されないかと思う。君もご承知の通り、大阪には、浄瑠璃《じょうるり》と、生田《いくた》流の箏曲《そうきょく》と、地唄《じうた》と、この三つの固有な音楽がある。自分は特に音楽好きと云うほどでもないが、しかしやはり土地の風習でそう云うものに親