う》の人でなければ恐《おそ》らく想像も及《およ》ぶまい。自分は子供ながらも、「我が住む森に帰らん」と云う句、「我が思う思う心のうちは白菊岩隠れ蔦がくれ、篠の細道掻き分け行けば」などと云う唄のふしのうちに、色とりどりな秋の小径《こみち》を森の古巣《ふるす》へ走って行く一|匹《ぴき》の白狐《びゃっこ》の後影を認め、その跡を慕《しと》うて追いかける童子《どうじ》の身の上を自分に引きくらべて、ひとしお母恋いしさの思いに責められたのであろう。そう云えば、信田《しのだ》の森は大阪の近くにあるせいか、昔から葛の葉を唄った童謡《どうよう》が家庭の遊戯《ゆうぎ》と結び着いて幾種類か行われているが、自分も二つばかり覚えているのがある。その一つは、 [#ここから2字下げ] 釣《つ》ろうよ、釣ろうよ 信田の森の 狐どんを釣ろうよ [#ここで字下げ終わり] と唄いながら、一人が狐になり、二人が猟人《かりうど》になって輪を作った紐《ひも》の両端を持って遊ぶ狐釣りの遊戯である。東京の家庭にもこれに似た遊戯があると聞いて、自分はかつてある待合《まちあい》で芸者にやらせて見たことがあるが、唄の文句も節廻しも大阪のとはやや違う。それに遊戯する者も、東京ではすわったままだけれども、大阪では普通立ってやるので、狐になった者が、唄につれておどけた狐の身振《みぶり》をしながら次第に輪の側へ近づいて来るのが、―――たまたまそれが艶《えん》な町娘や若い嫁《よめ》であったりすると、殊《こと》に可愛《かわい》い。少年の時、正月の晩などに親戚の家へ招かれてそんな遊びをした折に、あるあどけない若女房《わかにょうぼう》で、その狐の身振が優《すぐ》れて上手な美しい人があったのを、今に自分は忘れずにいるくらいである。なおもう一つの遊戯は、大勢が手をつなぎ合って円座を作り、その輪のまん中へ鬼《おに》をすわらせる。そして豆のような小さな物を鬼に見せないように手の中へ隠《かく》して、唄をうたいつつ順々に次の人の手へ渡して行き、唄が終ると皆《みな》じっ[#「じっ」に傍点]と動かずにいて、誰の手の中に豆があるかを鬼に中《あ》てさせる。その唄の詞はこう云うのである。 [#ここから2字下げ] 麦|摘《つ》ゥんで 蓬《よもぎ》摘ゥんで お手にお豆がこゥこのつ 九《ここの》ゥつの、豆の数より 親の在所が恋いしゅうて 恋いし